大晦日、こちらは日本より9時間遅れで2012年を迎えます。今日の今日まで駆け足で来てしまい、こんなに年の暮れる実感がないのは、はじめて。
去年、「イギリスに行く!」とほんとのほんとに決断、今年の正月からVISAやら何やら必死に用意をしつつ、それでも不安な心と鈍る決心と隣りあわせできて。それほど日本での生活はなんだかんだ恵まれてて、楽しすぎる!と感じる度に、わざわざ今の環境から抜け出す必要ある?と何度も思った。
こちらでの生活を振り返って、楽しかったことを思い出そうとしても「辛かったなぁ...」という気持ちが真っ先に出てくる。どれだけ苦労知らずに生きてきたのか...けれど、どんなにみじめな思いをしても‘日本へ帰りたい...’と、一秒たりとも考えなかった。ホームシックになる余裕さえなかったと言えるけど、むしろ、こんな根性なしのままで国に帰れますか....と武士みたく、じりじりと前に進んできたよ。
島に来て働き始めたとき、とにかく自分のことしか考えられず誰にも感謝できず心やさぐれすぎて、正直、仕事から帰ったら壁に暴言ばっかり吐いてたな...自分で望んで手に入れた環境てことをすっかり忘れて、外国人て扱いに苦しみながらも、外国人だから甘やかしてほしいとどこかで思っていたし、受け入れて欲しいのに近づき方が全然わからなくて。
そういうとき、とある出来事に遭遇。
働いてる施設に、いつもいっつも頑固なじいさんがいて、私が何をしても気に食わない様子。「中国人だか日本人だか知らないけど...」て怪訝な顔して、私の動きを見てる。じいさんは半身麻痺で色々と手助けが必要なのだけど、じいさんの汚れてるメガネを拭いたら「そんなこと頼んでない!触るな!」と怒鳴られるし、落ちてるものを渡しても「やめろ!」て怒鳴られるし、まるで私に信用なし。私が部屋に行けば「おまえか....」て顔。何をしても、だめ。
そんなある日、じいさんの部屋へ行くと「立つから、支えて」と言う。けれど私じいさんが自力で立ったとこ見たことない、転倒したら大変だし、もちろん働き始めたばかりのヒヨッコな私にそれを許可する権限なく、「ではボスに確認してくるので、お待ちを!」て確認した結果、‘だめ’との事。
「だめだそうです。」そう伝えたの。
そしたら、じいさんの顔どんどんくしゃくしゃになって、目からぼろぼろぼろぼろと涙が溢れ出て、もう止まらない。「?!」って動揺する私をよそに、じいさんの嗚咽は部屋の外に聞こえる程大きくなって、わんわん大声で泣いて。じいさん、「なんで、なんで、動物みたいだ.....」てしゃくりあげて、やっぱり私に「もういい!でてけ!はやく消えろ!」て。
だけど私、涙も鼻水も自分で拭けないじいさん見たら、なんだか出て行けずにいて。悔しい気持ち、よくわかったから。彼の部屋の壁にある数々の勲章とか、高齢なのにヘッドフォンは絶対BOSEだし、ジュースは100%以外飲まない、「老人ホームの布団なんか使えるか!」て、ひとりだけ自前のシルク100%の布団で寝てる、他の老人と絡もうとせず、ずっと部屋にいる。じいさん今でも威厳があるし、きっと立派な方だったの。少なくとも、簡単に人から「だめ」て言われる人ではなかったと。
ほんとは、別によくないから苦しかったのだけど。
だから、じいさんの止まらぬ涙をふきふきしたり鼻をふきつつ、ものすごいおろおろしながら必死で....ばか英語で話したとも。
‘I want to help you but I can't but I want...I know you..your mind?are you ok?you are ok...I'm sorry I can't help you but I want myself? 私は手助けしたいけど でも できなくて でもしたくて、わかるよわかる、じいさんの気持ち...大丈夫?だ、大丈夫!ごめんなさい、できなくて。したいけど....ね?’みたいな、とにかく恥ずかしいくらい棒読みのばか英語で.......もちろん無視されつつススーと退室...
私がじいさんに怒鳴られたとき、他のスタッフが言ってた。「あの人、いつもあなたに怒ってるわけじゃなくて、自分に怒ってるの。」と。メガネを人に拭いて貰わなきゃならない自分、誰かに手伝ってもらわなければならない自分に腹が立って仕方ないのだと。わかる...私も、役立たずの自分が本当受け入れられないあまり、環境に文句ばっか言ってたから。
そして数日経ってね、何事も知らーぬ顔でまたじいさんの部屋でひとり作業してたら、じいさんが、頑固じいさんが、いきなし、
「A RI GA TO.NOBU-SAN 」て............アリガトノブサン...............言ったの、日本語で....日本語で........!!!!!
じじい.....愛しすぎる......ぐっときて、響いて仕方なかった。そして、私の名前入りの、日本のことが書かれた新聞記事の切抜きをくれて。じいさん、震える片手でこれ切り抜いて、名前を書いてくれたの?と思うと、もうなんだか胸にこみあげるものが....
こういう瞬間が、いつも私を助けてくれたなぁと思います。
何かを手に入れては、また浮かぶ不安の中で、ずっと楽しいことを探すんだろうな。よくばりすぎて、もう死ぬ間際まで‘スカイダイビングすればよかった..’とか言うのかも。2012はもっと、余裕ができるといいです。がんばろ。
HAPPY NEW YEAR2012!