2012年6月7日木曜日

Good bye from Grumpy old man.




3月25日、サマータイムのはじまり。今回もまた「時計すすめるのだっけ、もどすのだっけ、わけわからない習慣よねえ」なんてイギリス人も笑っていて。暖かくなって、陽が長くなってきた島はほんとに楽園。海がきらきらして、芝生がものすごく緑で、道行く人たちがアイスクリーム片手で、すべてが息を吹き返したように美しいの。






そんな中、私は4月からロンドンで生活することに。


島を去ること、後悔はしなくともやっぱりさみしい。8ヶ月間、数字にすれば長くないけれど、もうこれ以上はできない程に一生懸命過ごした気がする。毎日毎日、飛び交う英語に必死に耳を傾けて神経すり減らし、へとへとのぼろぼろ。部屋に帰ると靴も脱がずにベッドに倒れこんだり、夜中に‘どうしてこんなに、あほなんだろう’て不安で目が覚めて急に勉強をはじめたり、がんばれと言われても無理するなと言われても、なんだか苦しかった。


人の多い東京の片隅でぽつんと過ごすことにすっかり慣れて、むしろそれが快適で、でもそれは都会の多くの人たちが同じと、知っていたからな気がする。


島の人たちがここをだいすきなところが、本当にすきだったな。愛されると人も土地もほんとにかわいくなる。ここで生まれて育ってここで最期を迎える、施設の老人はほとんどがそうだったけれど、毎日みんな海や空を眺めてはうれしそうな顔。「いいところですね」て言うと、「そうでしょう」とにっこりするの。


ひとつひとつの町のコミュニティーは小さくて、とにかくどこに行っても誰かに会った。スーパーでバナナを買ってるときとか、雨やどりしてるときとか、ちょっと太って走ってるときとか、バスに乗るたび、農場脇を歩いてたって知ってる車がプーと鳴らして通り過ぎたりする。施設のばあちゃんの孫が近所のスーパーのレジ係りだったり、スタッフの家族だったり、バスの乗客が運転手の家族だったり。

はじめのうちは、この距離感がすごく苦手で窮屈に感じて、何度となく逃げたい気持ちに。誰にも遭遇したくないのにさみしいし、出会いたいけど、ひとりになりたい。もうわけがわからない。もはやその辺りの牛や羊の群れとかアヒルの行進とか見ては、仲間がいていいなと思って。豊かな自然と密接な人々の関わりの中で、強烈にひとりぼっち。

たまらなく孤独なのに、いつも全然平気なふりをして。「自分で決めたこと」そう思うと誰にも頼れない気がして、それがさらに一人を実感させたけど、本当はもっと周りに甘えたり弱さを見せてもよかったと、今になって思う。シンプルに生きること、簡単なはずなのに難しい。


それでも、だんだんと町中で知っている背中を見つけるとうれしくなる自分がいて。「大丈夫」て答えてるのに、ぎゅうっとハグしてくれる島のひとたちのストレートなやさしさや、雨が降ると虹を期待したり、無限大の星空から目が離せなかったり、シンプルな島の美しさにいつもいつも救われたよ。

施設のおじいちゃんばあちゃんには尊敬の気持ちでいっぱい。どんなときも無条件で優しかった。言葉が通じなくても、それ故失敗しても「大丈夫。もし私があなただったら、大変だと思うもの」ていつも深い愛情で溢れてたよ。

耳が聴こえない、目が見えない、話せない、判断ができない、歩けない、老齢による障害は色々ある。私、島で初めて介護の現場に入ったとき、呼吸以外は自力で全く動くことができず、そしてその状態を判断することもできないご老人を見て「生きるて何だろう..」と漠然と考えたり、もっと正直に言えば、「生きたいと、思っているのかな」と、冷たい見方かもしれないけれど、本当にそんな気持ちになったの。

それでも毎日毎日生活のお手伝いをしていると、ご老人の小さな反応から、うれしそうとか、かなしそうとか、くやしいのね、とか感情を読めるようになっていって、ものすごく一生懸命生きてることにとても感動を覚えたし、人間てこんなにも愛しい、そんなこと本気で思うようになって。

どんなひとでも、家族が会いにくると本当にうれしそうな顔してたよ。


そして、いつかの頑固じいさんはGoogle翻訳を駆使して、

「あなたは 私が会った 日本人の中で 唯一 去ることがさみしい 日本人の女の子」

この言葉とともに、‘My history’と証した70数年じいさんが書き溜めた自伝をくれて。もう簡単には読みきれないくらい細かく、丁寧にまとめられたじいさんの歴史。

どこで生まれて、どこの学校に通って、いつどの車を買って、仕事で行った多くの国々、役職、それから病気になったこと、それで家を売りに出したこと、そして今は施設にいて、自分の片手だけを頼りに生活することになってしまったと、長い長い人生の記録。

それ見てたら、なんだかわからないけれど、ものすごく泣けてきて仕方なかった。本当に当たり前だけど、今は寝たきりのご老人たちも、今の私と同じような葛藤とかよろこびとか青春を経験をしてきたこと、忘れてはいけないなと、痛いほど感じたよ。

‘But I can feel.’
耳の聴こえないおばあちゃんが言った「私、感じることはできるのよ」て言葉、すごく印象に残ってる。

誰でもつらい思いはしたくないし、さみしさも味わいたくないけど、でも経験すれば人の痛みが想像しやすくなる。無駄なことは、何もないの。島で、人はことごとくひとりだけど、でも決してひとりでは生きていけないと学んだ気がするよ。



島を去る最後の一ヶ月間、がむしゃらに過ごしてたご褒美かと思うくらい、たくさんの楽しいひとたちに会えて、本当に最高でした!また行きたい、会いたい人たちがいる、そんな場所が増えたうれしさ引き連れ、ロンドンでも自分らしく過ごそう。遊びに来てね!





2012年2月22日水曜日

Japan's Tsunami Caught on Camera

冬の港。朝7時もまっくら...
一体、いつ一月が終わり、二月が始まり、バレンタインデーも過ぎたの....

本当に暗くて長いイギリスの冬。まっくらな朝に、霜の降りた草の上をひたすらにしゃくしゃく悶々しゃくしゃくしてたら、もう二月まで終わろうとしている。そして最近やっと、日が延びてきたと同時に、沸々と、あれもやらなきゃ..これもだ....あと...そうだ、動こう!!と、旧正月に合わせてスタートダッシュをきった。

でてきた朝陽

もうすぐ東日本大震災から一年。地震発生当時は東京に居て、今はこうして海外にいる。

こういった立場で、震災の話題に触れること自体がとてもおこがましい気持ちであるけれど、「イギリスにおける日本の震災に関する報道」を、情報としてお伝えします。

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3月11日午後2:46 東日本大震災/英国の新聞・雑誌 各社が表紙一面で報道

THE SPECTATOR 19.3.2011
‘被害の甚大さにもかかわらず、日本から見えてくるものは絶望ではなく、驚異的な平静さである’‘津波被害を受けた日本の人々より、原発問題に関心を寄せる諸外国の方がヒステリックな反応を示している’

THE ECONOMIST 19.3.2011
‘(日本人は)驚くほどたくましい’‘日本人の本災害における反応に対して世界から尊敬の目が向けられることで、日本がこれまで最も必要としていた自信を回復させるかもしれない’

THE INDEPENDENT 16.3.2011/13.3.2011
‘根性’(漢字一面表紙)
‘がんばれ、日本。がんばれ、東北。’(日本語で表紙面表示)

DAILY MIRROR 18.3.2011
‘日本、みなさんは一人じゃない’(日本語で表紙面表示)

THE SUN 12.3.2011
‘幸運である私たちは、お見舞いの言葉を送る以上のことを、日本に対して提供するべきだ’

THE DAILY TELEGRAPH 14.3.2011
‘(これまでの日英関係では色々あったが)これらの歴史をどのように見ようとも、日本に対するあらゆる助けが求められていることは間違いない’

THE TIMES 14.3.2011
‘困難なときこそ団結するのが日本社会である。日本の政治家たちは、日本の友人たちの協力を得るのに十分なだけの決断力と慈愛を見せた’

他多数、THE OBSERVER,THE METRO,DAILY MAIL,THE WEEK,NEW STATESMAN...
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各国での日本の震災報道が減ってきたとはいえ、2月19日のTHE SUNDAY TIMESでは中一面で復興状況における記事が掲載されていた。

私は去年、友達の結婚式で4月にグアムへ、5月にハワイへ、そして7月にイギリスへと渡ったわけだけど、どこの国に行っても現地の方から震災に関して言葉を頂いたし、どこの国でも在外邦人・現地人の方々のチャリティー活動を目にした。そして現在、イギリスの小さい島で生活し尚且つ震災から一年経とうとしている今でも、日本から来た私に「震災は...」と思いやりのある言葉をかけてくれる外国人が多いことに、正直おどろいているし、頭が上がらない。

今まで、なんて多くのことを他人事の様に考えてきたのだろ。今の私は、どこの国の誰に会っても、自分がかけてもらった様な言葉は決して出てこないな、何も知らなさすぎる。こういった環境になって初めて、新宿を練り歩いていた沖縄基地に関するデモ行進だとか、国連大学の前で何かを必死に訴えていた外国人の方々とか、そこを無表情の無関心で通り過ぎていた自分がフラッシュバックしている。

それでもって去年の八月にロンドン各地等で起きた大暴動についても、私はイギリスにいたにもかかわらず、日本の家族や友達からの「大丈夫?」という連絡で知った。


どこかの国の誰かに、一声かけられるくらいの知識はほしい。それが何かしら物の見方を変えていく入り口になるのかな、と思う。



イギリスで何度も何度も再放送?されている東日本大震災のドキュメンタリー。日本語/英語。ここで、漁師の妻と娘が「津波があって、船が流されて、それでも海がすきで、次の船も予約した」と話す姿が忘れられない..