2013年10月3日木曜日

パリから東京から




また再び、ロンドンに。

今年の5月から東京で生活を始めるはずが、巡りに巡ってまたここに。本当、何が起きるかわからない。

2年前の時と同じく、緊張しながら何度も何度もビザセンターへ持って行く書類を確認しては深呼吸を繰り返し、思っていた以上にあっさりと事は進んだけれど、戻って来て3ヶ月目の今日もまた、ロンドンにいる自分に少しおどろく。こんな選択肢は2年前には全然なかったから。



今年の4月の末に日本へ帰る道すがら、姉の住むパリへ立ち寄った。パリがどうとか言うより、姉の生活とバイタリティーばかりが印象に残った。エレベーターなし螺旋階段の8階、屋根裏部屋的なところに暮らし朝から晩まで本当よく働く。休みの日は、着付けが出来る限界の大きさの部屋で、着物を着込んでボランティアへ出かける。そして不治の忘れん坊の姉さんは、8階から1階までぐるぐる降りたあと(降りるのも疲れる)忘れ物に気づいてまた、ぐるぐる上がって行く。

お人好しだからたまに騙されたり盗まれたりもしていた。その上部屋も狭いし、何もないし、ベッドがありえなくしなって腰が痛いのだけど、姉は‘ハンモックみたいで快適だよ。なくした物は、最初からなかったことにする。’と、とても生活に満足している風だった。姉さんはどこでも生きていける、それを確信したパリ。


5月は2年弱ぶりの日本へ。成田空港の売店で飴を買い「ありがとうございます」と頭を下げてもらったことに、おおーと違和感と感動。この2年間お客の立場としては、神様でも何でもなく、ただの人間でしかなかった様な気がする。頼んでも怒っても一向に修理しない業者だったり、何かを説明しながらあくびをする販売員だったり、お皿を割ったってジョークをとばすウェイターだとか、担当者はホリデー中なので知りませんみたいな回答とか、そんなことがあまりに日常茶飯事で、むしろこれを人間らしくていい様にも思えてきたところ。働く立場になった時は、この適当さがとても快適だった。

日本の道路の滑らかさ、公衆トイレのきれいさ、手軽にありつけるおいしいもの、たった2年間離れていただけなのに色々なことにとても感動した。すごい国。


それにしても、人は変われるのだろうけど、なかなか難しいもので相変わらず地味な生活を送っている。毎日学校に行って勉強をして、曇り空の下黙々と歩いたり、図書館でやることリストを作成したり、家に帰っては明日のお弁当をこしらえたり。秋をとばして冬がはじまりかけている空気も、さらに私を静かな日常に向かわせつつ。それでも、またロンドンにいることがうれしい。

日本滞在があっという間で、連絡できなかったり会えなかったひと、次回は必ず。もしくはこちらで。


‘雨ニモマケズ’ 宮沢賢治

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしはなりたい


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